出会いは必然、出会わないのも必然-彩乃かなみ特集Ⅲ-
彩乃かなみ退団特集記事です。
最近書いていなかったんですが・・・しかもⅡの予告と違うことを今から書こうとしていますが(苦笑)、お許しを。
「歌劇」のサヨナラ特集読みました。
いろんな人の、かなみんへの熱い思いがつまった特集でした。
セナ君とかなみんの対談は、温かくて、やはりじーんとしてしまって・・・読みながら泣いてしまいます。
たぶんお姫様抱っこ写真(笑)あるだろうな~と思っていたら、期待通りあったので嬉しかったです(笑)。
娘役さんは案外力持ちですよね・・・まーちゃんにもお姫様抱っこされていたし、セナ君・・(笑)。
仲の良いコンビの難しいところは、どこまで厳しくなれるか、どこまで仲の良さでお互いに妥協しないか・・というところだと思うんです。
ふつうの付き合いなら、割り切れる部分もあると思うんですが、親しい仲だと、それがかえって難しいんじゃないかなと思っていましたが、セナ君はそういうところは、対談でも言っていた通り、けっこう厳しくやっていたように、スカイステージのトークなどから感じていました。
セナ君のことが、ある程度わかっているというか(完全にわかることはありえないですが)、ファンならばインタビュー記事とか、トークとか、聞けるものはほとんど聞いているので、あの厳しさは冷たいわけじゃなくて、真剣に思うからこその厳しさっていうのは、なんとなくわかってはいたし、感じてもいたんですが、かなみんのファンから見たら絶対微妙に見えていたんだろうな・・と(笑)。
かなみん単独のファンが、そこまでセナ君に興味を持つかというと、みんながみんなそういうわけじゃないでしょうしね。
それは、逆から見てもそうなんですが。
コンビを見る・語るときは、やっぱり両方からの視点が必要になってくるので難しいな・・と思います。
私も両方見てきた・・とはいえ、やっぱりセナ君を見てる方が多いですから、全然上手くは語れないんですが。
セナ君のそういうところが、誤解されやすいんだろうけれど、でも、やっぱりすごいな・・と思います。
すみません、かなみん特集がセナ君語りに(苦笑)。
でも、思ってくれるからこその厳しさを、しっかりかなみんも理解していたから、あんなにセナ君との対談や、サヨナラ番組でもセナ君のことを語りだすと、かなみんは涙が止まらなくなってしまうんだろうな・・と、勝手に思っています(笑)。
はい、それで本題に戻りまして、、かなみんを送る言葉を読んでいて、オギーが「女優」と「娘役」のきわどい境界にいた・・みたいに称していましたが、オギーの定義する「女優」と「娘役」の違いが、私にはよくわからないので、なんともあれなんですが、「従来の娘役とは違う」という意味ならば、全くオギーに同感だな・・と思いました。
と、いうのも、かなみんは「女優」って、オギーは言っていましたが、でも私が思う「女優」ではないです。
やっぱり12年間、宝塚でしか芝居は経験したことがない存在なので、いわゆる普通の「女優」とは言えないとは思うんですよね。
でも、そもそも宝塚の娘役さんで、退団されて外部で活躍されている方って、もちろん「女優」になるんですが、男役さんが女優になるほど印象って変わらないんですよね。
もちろん、演じる役の幅は広くなりますが。
だから、その演じる役の種類が娘役より幅が広い=女優っていうことを、オギーは言いたかったのかな・・と思いました。
その中に「娘役=古典的な男尊女卑的枠組みの中で生きる娘の役」という役もあった・・ということなんだと思います。
で・・・もう一個のブログの方で、植田景子先生の「THE LAST PARTY」や「舞姫」を巡る男尊女卑的宝塚の枠組みの話を、しつこくねちねちと書いてきたんですが(笑)、それに関連させて、かなみんの話を書くことで、私なりに、「彩乃かなみ」について考えてみました。
参考に・・・シリーズで書いた記事です。
娘役は道具じゃない(宝塚歌劇のヒロイン①)
筋書きは、ほんの些細なことで書き換わってしまう(宝塚歌劇のヒロイン②)
「THE LAST PARTY」自体は、バウの両方のバージョンと、タニちゃん主演版の東京は全部見て、ユウヒさん版の東京はニュース映像などでけっこう見た・・という状態です。
本当は全部のバージョンを、通しで見てから書くのがフェアなんでしょうが。


最近のコメント