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喪失からの回復

もう一つ「ラストプレイ」の話。

「ZERO」・・・セナ君のディナーショーの主題歌ですが、その中で「新しいものを手に入れるためには古いものを捨て去らなければならない」「そのときが何時どこで、捨て去るものが何なのか、今はまだわからないけれど、だからこその旅なのかもしれない」というフレーズがあります。

この歌がそのまま「ラストプレイ」に繋がっている気がしました。

「ラストプレイ」はいくつもの喪失とそこからの回復を通して、いろんなことを考えられる芝居なのではないかなと。

主人公アリステアは二つの大切なものを劇中で失います。
一つは「ピアノ」。もう一つは「記憶」。

最初、ピアノを失ったかわりに、アリステアは自由を手に入れます。
「新しいものを手に入れるために、何かを捨て去る」・・・でも、アリステアは逆に捨て去ったピアノの自分にとっての大切さを深く感じてしまうんですよね。

だから、彼は「記憶」を失うかわりに「ピアノ」を再び手に入れる。
でも、「記憶」を得るために「ピアノ」をまた手放さなければならなくなる・・・。

何かを失わなければ、失ったものを得られることは出来ないのか・・・。
それがアリステアの一番の絶望部分だと思います。

だから、最後のオチがきいてくるんです。

ムーアという大切な存在を失わなければ、アリステアはピアノを再び手に入れることが出来ないのか・・・。
もしあそこでムーアが死んだら、今度はムーアを失った喪失感に彼は絶望していたかもしれません。

でも、ムーアは死ななかった・・・。
ここで、アリステアはようやく何も失うことなくピアノを再び手に入れることが出来るんですよね。

そう考えるとピアノに対するトラウマというより、喪失に対するトラウマがアリステアを苦しめていたのではないかと考えられます。ピアノに向かうことで、また何かを失うのではないかというトラウマ。現に冒頭でピアノに向かったことから孤児院での居場所を失い、記憶を失ったからこそピアノに向かうことが出来た・・・。
喪失とピアノはいつもアリステアにとっては共にあるものだったんですよね。

だから自分はあのラストが大好きなんですよね。あそこでムーアが死んだほうが良いって言う人は、私はそんな残酷な・・と思って仕方がなくて(爆)。あそこでムーアが死んだらアリステアは立ち直れないよ・・って(爆)。
優しい嘘がとってもステキだと思うのは、物語をとおして描かれてきた「喪失」がようやく克服されるからなんですよね。

逆に私はムーアがアリステアと違うのは、スリをやって生きていた彼にとってはもともと「失う」ものって何もなかった気がします。
だからあまりムーアは失うことを恐れないですよね。
エスメラルダを失うことは恐れていたけれど、そこで自分の命を失うことは恐れてはあまりいないように見えました。
顧客名簿を失うこともエスメラルダも失うことも、それを失うぐらいなら何もかもぶっとばす(笑)というぐらい「失う」ことには恐れがない。

だからこそ、アリステアはムーアを止めに骨董品を持ち出してまでして(笑)、恐れもせずにあそこへ飛び込んでいけるんですよね。
ムーアを失わないために、そしてムーアに自分と同じ「喪失」を味わって欲しくないがために。
エスメラルダを失わせないために、彼は銃の前にも臆せず出て行く。

アリステアが強いのは、逆に「喪失感」があるからなんでしょうね。

喪失感は彼を苦しめる面と、彼を強くする面を持っている・・・。

そう考えると、劇中で「一つの事柄にはいくつかの意味があるということだ・・」とつぶやくアリステアの台詞が重要に響いてきます。
記憶も彼を苦しめ、彼を温かく包むものなんですよね。

なかなか数回見ていると感じられるものが味わい深い作品だと思います。

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